2004.4.1 お花見

お花見の季節だ。
と、ここで少し疑問。「お花見=桜」なのはなんでだろう。「花を愛でる」行事であるならば、本来はそれはなにも桜に限定されるものではないだろうし、春に限られたものでもないはずだ。
でも、私たち日本人の中では、お花見と言えば「桜の花が咲いた時に桜の花を眺めながら宴会をすること」、という感覚が出来上がっている。実際にお花見に行くかどうかは別として、この「お花見の季節」が来るのを疎ましく思う人はそういないだろう。寒く暗い冬が過ぎてあたたかい春がきたことを実感する、「花見」の言葉の中にはそんなうれしさと連動する意味合いがあるからかな。そして、桜が咲く頃というのは種まきや苗の定植の適期なのだそうだ。まさに桜の花は「春」の代名詞と言える。

日本人の桜好きは、また違う理由もあるらしい。清楚で上品、華やかでありひかえめ、そして満開と同時にハラハラと花びらを散らして散っていく潔さ。日本人の「粋」とか「妙」という感性にぴったりはまるのではないかしら。「花は桜木人は武士」という言葉もあるし、戦時中は愛国心を煽るために政府が桜の木をたくさん植えたという話もある。

私も桜は大好きだ。いつか、フルムーン世代になった頃でも、主人といっしょに桜前線にあわせて日本中の桜の銘木鑑賞ツアーをしたいなあ、なーんて思ってるくらい。
結婚した頃は、毎年違う東京の有名お花見スポットを訪れていた。最初の年は確か御茶ノ水の辺りの中央線沿線の散策路を歩いた。ちょっとマイナーな感じだが、言われるまま連れて行かれたその場所は、主人の母校が近くで学生の頃はよくそこで花見をしたらしい。主人の学生時代の楽しい思い出と直結していたという訳。「桜が咲いている間は乗客が鑑賞できるように電車が少しゆっくり走るんだ」なんてことを教えられた。遠い記憶、わはは。

次の年は上野公園。にぎやかで楽しい場所だ。リタイアメント組とおぼしき方々のなんともパワフルで陽気なこと!ゴザひいてカラオケ大会ありーの、時代劇みたいな衣装を着て余興をする面々ありーの、上野という土地柄がよくも悪くも出ているなあという感じ。私たちはここで桜を見ながらなぜか焼きいもを食べたのだった。

あくる年は千鳥ヶ淵。超有名な千鳥ヶ淵の桜をどうしても見てみたかったのだが、主人は腰が重かった。どれほどの混雑かよくわかっていたからである。おまけにこの年は急に暖かい日が続いたせいで、お花見日よりの休日というのが一回しかなかった年だった。花見客は一日に集中、嫌がる主人を無理やり連れ出したものの、やはりというか当然というか、地下鉄を降りたら改札から既に行列だった。この行列が、改札を抜け、階段を上がり、駅を出て千鳥ヶ淵まで延々続いている光景を想像し、私は電車を降りたばかりだというのに気分が悪くなってしまった。このまま改札を抜けずに帰ろう、と私は言い出し、主人は言い出しっぺの田舎モノに腹を立て、絶対に見て帰ると言い張った。
人の頭の隙間から見たその桜はさすが絶景だったが、気持ち的には全くつまらないお花見だった。この年以降、有名スポットには行っていない。

それからは地元で桜のきれいな場所を探しては出掛けるようになった。電車に乗らずにぷらぷら歩いて行き、例え一本の桜でも花びらの舞い散る木の下で一本の缶ビールとつまみを楽しむ。同じように散歩を楽しむ人と「きれいですね」なんて会話をしてみる。なんと穏やかな気分に浸れるものか!こうでなくちゃ。

引っ越してからまた楽しみが増えた。土地を覚えるまで、春には桜の名所の探索が楽しめる。今年は古利根川沿いの河川敷に出掛けた。川沿いに500本の桜並木が続き、目の高さに花をつけた枝がしだれている。ファインダーには桜とその向こうの青い空しか入らない。こうでなくちゃ!