2004.09.01 さらば

やっと猛暑が一段落、と思ったらなにやら急に肌寒くなり、足早どころか一気に秋の気配だ。
夜、涼しい風に吹かれながら虫の音に耳を傾けていると、この夏の出来事が暑さの記憶とともに甦ってくる。
一生忘れることはないだろう、2004年夏。

本当は、今回のエッセイのタイトルは「さらば、満員電車」とするはずだった。
会社で取り組んでいた仕事が一段落したのを機に、8月で退職することを決めていたからだった。
「時間をお金で買う生活」より、「お金はなくても楽しい我が家」をめざすことにしたのだ。
これはわたしにとって、想像力を膨らます楽しい思いつきだった。
時間が自由になってからのガーデニングやDIYや、いわゆるスローライフというものへの憧れを、
疲労困ぱいの満員電車の中でどれだけ思い描いたことか。

私はいろんなことにけっこう疲れていたんだな、と思う。
人の話に耳を傾けるのもおっくうで、なんでもないことにイライラしたり、人にきつい言葉を投げかけたり、
そうして、時々鏡で見る自分に驚く。なんて醜い顔なのか。
昔はもっといい笑顔で笑えたはずだ。
私は自分の顔が醜いと気付いた時、あっさりと方向転換を決めた。
もちろんいろいろと考えたけれど、すっぱり方向転換しようと思える自分の適当な性格に、今は感謝している。
身体はもちろんそうだけれど、精神が病むとロクなことにならない、ということをこの夏思い知らされたから――。

休暇で訪れた長野の宿泊先で、その訃報を知った。
別れはあまりにも唐突で、さよならの言葉もなく、永久に開くことのない扉の向こうに逝ってしまった義弟・・・。
おととし妹夫婦といっしょに訪れた長野、本当は今回もいっしょに来るはずだった。
ああ、そういえば。
我が家の家族のプースケを妹夫婦から譲り受けたのはおととしの長野旅行の時だったっけ。
思い出す、妹の結婚式。
晴れやかな主役の二人は壇上でキラキラと輝いていた。
あの時、高らかに、胸を張って、妹を「一生かけて守ることを誓う」と宣言したではないか。
バカヤロウ!

身近な人間が、不幸な病気で若くして突然この世から消えてしまったというこの衝撃は、
夫のストレス病に拍車をかけた。
ストレスというのは恐ろしい。
ここ何年かずっと身体の調子がおかしかったのは、みんなストレスから来ているのだという。
タケシの「本当は恐い家庭の医学」ではないが、病気の元は意外なところにあるものだ。
私はガーデニングどころではなくなってしまった。まず心の余裕がなかった。
ガーデニングは私にとって一種のヒーリングだと思っていたけれど、
癒されたいと思う気持ちがあるうちはまだ心に余裕があることなのだ・・・。

人間生きてさえいれば、人生なんてなんとかなるものだ。
主人は、人生で初めての2ヶ月もの夏休みを楽しんだが、
「トレンドだよ、雅子様といっしょだもの」なんてジョークを言えるくらいになった。
妹もやっとこの頃、表面上は本来の生気を取り戻しかけているように見える。
時はゆっくりと過ぎていくのだ、傷口を癒しながら。

そして私はスローライフとガーデニングで心を満たし、
主人や妹や大切なたくさんの友達に持てるすべての愛情を注いでいく。


さらば夏よ。
立ち止まったりはしない。それが、生きている人間の証し。
亡くなった義弟の墓碑には、「空のように」と刻まれています。